サムシンググレイト①

 初めて、「あれ、生きる意味って無いんじゃない?」と思ったのは、予備校と家とジムを往復するだけの生活を1か月くらい送っていた時だった。受験勉強を頑張りたくて、極力人と会わないようにしていたら、いつの間にかその疑念が頭に憑りついて離れなくなってしまい、「生きてる意味って無いよね」「賢い人から自殺してってるんでしょ」とか、かなり迷惑な、それでいて切実な電話を、ジムの待合室でべそかきながら付き合っていた恋人にかけたのを覚えている。平日で忙しいにも関わらず「生に意味はないよ」「でも生きてるんだからしょうがない」「その事実から目をそらすために人間は社交や気晴らしに興じている」「それも遺伝子としての生存戦略」「だから根を詰めすぎずに時々は人と話さないとダメだよ」とか説きに来てくれた。

『「やっぱり生きてることって根本的に意味無いの?」「無いよ」「じゃあ〇〇くんは何で生きてるの?」「別に生きる意味って必要じゃないよ」「そっかあ・・・」』

 「利己的な遺伝子」という、古典的名著を教えてもらった。人間は進化の過程で、遺伝子を残しにくいものは淘汰され、遺伝子を残し続けたものが残った。人間は遺伝子の乗り物だ。という内容だ。恋愛感情なんていうのも、進化の過程で備わった、生殖するための遺伝子上のプログラミングにすぎない。人間の感情も行動も、すべては遺伝子を残すためだけにある。めちゃくちゃ腑に落ちた。万能概念だ、とも思った。こんなの、なんだって説明ついちゃうじゃん。