道徳をおしえて

 昨日の夜、眠れなくて携帯の画面を開いたら、ちょうど画面が光った。訳あって距離を置いていた友達からの久しぶりの電話だった。1時間くらい話したけど、楽しかった!文字通り話が積もっていた。有名な投資銀行から内定を貰ったという報告を嬉しそうにしてくれたのが可愛くて、ニコニコしちゃった。東大からゴールドマンサックスに就職するというのは、そういう界隈ではかなり王道の、羨まれる進路らしい。〝そういう〟のを志してきた同僚と気が合うかどうかが、目下の悩みだと言っていた。

 彼はとても気の利く子なので、私の話をあらん限りの優しさをもって聞いてくれた。昔のようにそれを指摘すると「こんなん義務教育レベルだよ」と返された。「道徳って後天的なものなんだね」「そりゃそうだよ、俺、こころのノート、めちゃくちゃ真面目に書いてたもん」。

 小学校の道徳の授業で部落差別が論題に上がり、皆が「部落差別はやめた方がいいと思います!かわいそうだから!」という趣旨の発表をしている中、感想用紙に「可哀想という意識が差別そのものだ」と書いて提出した。差別があると教えることでまたその差別を煽ることになっていると思ったんだよね、なんて話した。私が小学生の時に考えていたことは、「寝た子を起こすな」理論として既に体系化されていて、日々論争が起こっているらしい。

 最近、Twitterで「キモいものは、キモい!差別したいものはしたい!!」というツイートが(悪い意味で)面白がられてプチパズっていた。動物の本質を突いているなあと思った。進化心理学なんかで余裕で説明がついちゃうけれど、みんな本能的に差別をしたい生き物だ。人間には理性があるので、あくまでも動物としての本能という意味だけど、たしかに、私たちは逃れられない動物としての一面をもっていて、それを自覚した上で、対峙していかなければいけないんだと思う。自分の動物的な部分に理性が負けてしまったのが、先のツイートの人なんだろう。

 話し足りなかったし、今日また話そうと誘われたけど、眠くて断ってしまった。ちょっと時間が経ってから考えると、人のこころの機微に敏感な人なので、「話すの嫌なのかな」とか、変に深く受け止められてしまった気がしてならない。本当に眠かった。「あの後、結局朝まで眠れなくて、ブログにきみのことを書いてたんだよ」って、直接伝えるために、東京に帰らなくちゃな。