サムシンググレイト①

 初めて、「あれ、生きる意味って無いんじゃない?」と思ったのは、予備校と家とジムを往復するだけの生活を1か月くらい送っていた時だった。受験勉強を頑張りたくて、極力人と会わないようにしていたら、いつの間にかその疑念が頭に憑りついて離れなくなってしまい、「生きてる意味って無いよね」「賢い人から自殺してってるんでしょ」とか、かなり迷惑な、それでいて切実な電話を、ジムの待合室でべそかきながら付き合っていた恋人にかけたのを覚えている。平日で忙しいにも関わらず「生に意味はないよ」「でも生きてるんだからしょうがない」「その事実から目をそらすために人間は社交や気晴らしに興じている」「それも遺伝子としての生存戦略」「だから根を詰めすぎずに時々は人と話さないとダメだよ」とか説きに来てくれた。

『「やっぱり生きてることって根本的に意味無いの?」「無いよ」「じゃあ〇〇くんは何で生きてるの?」「別に生きる意味って必要じゃないよ」「そっかあ・・・」』

 「利己的な遺伝子」という、古典的名著を教えてもらった。人間は進化の過程で、遺伝子を残しにくいものは淘汰され、遺伝子を残し続けたものが残った。人間は遺伝子の乗り物だ。という内容だ。恋愛感情なんていうのも、進化の過程で備わった、生殖するための遺伝子上のプログラミングにすぎない。人間の感情も行動も、すべては遺伝子を残すためだけにある。めちゃくちゃ腑に落ちた。万能概念だ、とも思った。こんなの、なんだって説明ついちゃうじゃん。

道徳をおしえて

 昨日の夜、眠れなくて携帯の画面を開いたら、ちょうど画面が光った。訳あって距離を置いていた友達からの久しぶりの電話だった。1時間くらい話したけど、楽しかった!文字通り話が積もっていた。有名な投資銀行から内定を貰ったという報告を嬉しそうにしてくれたのが可愛くて、ニコニコしちゃった。東大からゴールドマンサックスに就職するというのは、そういう界隈ではかなり王道の、羨まれる進路らしい。〝そういう〟のを志してきた同僚と気が合うかどうかが、目下の悩みだと言っていた。

 彼はとても気の利く子なので、私の話をあらん限りの優しさをもって聞いてくれた。昔のようにそれを指摘すると「こんなん義務教育レベルだよ」と返された。「道徳って後天的なものなんだね」「そりゃそうだよ、俺、こころのノート、めちゃくちゃ真面目に書いてたもん」。

 小学校の道徳の授業で部落差別が論題に上がり、皆が「部落差別はやめた方がいいと思います!かわいそうだから!」という趣旨の発表をしている中、感想用紙に「可哀想という意識が差別そのものだ」と書いて提出した。差別があると教えることでまたその差別を煽ることになっていると思ったんだよね、なんて話した。私が小学生の時に考えていたことは、「寝た子を起こすな」理論として既に体系化されていて、日々論争が起こっているらしい。

 最近、Twitterで「キモいものは、キモい!差別したいものはしたい!!」というツイートが(悪い意味で)面白がられてプチパズっていた。動物の本質を突いているなあと思った。進化心理学なんかで余裕で説明がついちゃうけれど、みんな本能的に差別をしたい生き物だ。人間には理性があるので、あくまでも動物としての本能という意味だけど、たしかに、私たちは逃れられない動物としての一面をもっていて、それを自覚した上で、対峙していかなければいけないんだと思う。自分の動物的な部分に理性が負けてしまったのが、先のツイートの人なんだろう。

 話し足りなかったし、今日また話そうと誘われたけど、眠くて断ってしまった。ちょっと時間が経ってから考えると、人のこころの機微に敏感な人なので、「話すの嫌なのかな」とか、変に深く受け止められてしまった気がしてならない。本当に眠かった。「あの後、結局朝まで眠れなくて、ブログにきみのことを書いてたんだよ」って、直接伝えるために、東京に帰らなくちゃな。 

怒り

いつの間にか9月も終わろうとしているのをAirpods越しに聴こえてくる虫の鳴き声により初めて知ることになった。断腸の思いでもう少し高価なワイヤレスイヤホンを買おうとしていたら店員さんに「ノイズキャンセラーで周りの音が聴こえなくなって危ないからやめたほうがいいですよ」と言われ選んだ代物を好んで使っている。営業成績よりも客の事を考えてくれていた店員さんには愛を感じながら、しっかりとAirpodsの値下げ交渉を試みた。

 

そんな秋の夜長にAmazonPrimeVideoで「怒り」を観賞した。俳優の演技に驚嘆し、プロバガンダの含まれる内容に落胆し、メッセージ性の無さに息をついた。演技力で成り立っていたなあ。人を信じられないことを悪のように捉えるなよと声を大にして言いたい。犯人は只のサイコパスだ。レイプや殺人は少なからず人の関心を引くだろうけれど、それで良いのだろうか。犯人が「怒」の文字を残すのも不可解だった。おまえは何にも怒りを抱いてなどないよ。

大切な人

本当に彼のことが必要かどうかは別として、私のことを必要としてくれている人に応えたいがためにこの人は大切な人だと信じて接している。

最近、彼から「貴方は本当に俺のことを大切にしてくれるよね」と言われた。

今まで出会った人たちは皆私のことを世間一般で言う「大切な人」扱いしてくれた。

多分、私は人に、大切にされていると錯覚させるのが上手いのだ。ただそれだけなのだと思う。

愛されたいなら愛しなさいとはよく言ったもので、でも本当にその通りだ。与えた分の愛は必ず返ってくる。それが心から出たものでは無いとしても。

ここでひとつ問題なのは、与えたものが偽物だった時、与えられたものもまた自分にとって偽物になってしまうということだ。

価値観とアクエリアス

やっぱり、文章の上達にはある程度の慣れが必要なのだろうな、と思う。

 

わたしはやる事なす事三日坊主であるという自己認識を持っているけれど、ものを書くということについては比較的好きかもしれない、ので、もしかするとこのブログも続くかも。あくまでも可能性だね。

 

文章の上達云々については友達のブログを見ていて思った。インターネットを介して知り合った、会ったことのない友達だ。インターネットが普及した今、交流の幅の広がりで世界が見違えるように変わったのだなあとまるで流行りについていけなくなったオジサンのような事を思う。

 

彼女との総通話時間は、もしかすると学校で出来た友達とのそれよりも長いのかもしれない。密度においては遥かに上回っていると断言出来る。頭が良くて、お酒が大好きな友達だ。

 

そんな友達が最近、ずっと秘密にしていた自分のブログの記事を読ませてくれた。可愛らしい文章だった。1つの記事のみだったので、彼女には内緒でブログを検索して他のエントリも読んだ。閲覧数でバレた。面白いね。

 

私に送ってきていた記事はブログを設立してから比較的最初の方に書かれたもので、最新のものなんて別の体を成していた。彼女は勉強熱心だからきっと有名なブログなんかを読んで研究したんだろう。書けば書くほど読み物として面白くなっていてにこにこした。

 

私はそのブログについての言及を控えたけれど、彼女は自分の中にうっすらとある、彼女の中では劣るような、一般の人が受け入れる、というか安心できるような部分を意識的に濃縮させていたようだった。彼女は私には超えられないような肩書きを持っていて、それを背負うことによってプラスの作用は勿論あるのだろうけどマイナスの作用もあるのだろうなと少し思った。戦略的にブログを書いている事は賢いよなあとも思うし本当にこんな事がしたいのかなあなんて思ったりもした。そしてそのブログに触れることが、私がブログを始めてみようかなと思うきっかけになった。

 

その人とかなり前から鳥貴族に行こうと言っているが、なかなか具体的な日取りが決まらない。インターネットで知り合ったという点に怖気付いてしまっているのだろうか。そんなことは無いのだろうな。きっと私が彼女に少しでも抱いてしまっているであろう幻想が壊れるのが怖いのだ。そして逆も然り、というかこちらの方が要因として大きいのだと思う。インターネットの普及、悩ましいね。

 

色々な価値観に触れるのは本当に楽しい。

以前付き合っていた彼もブログを運営していた。その時は何が楽しいのか分からなかったけれど確かに彼の書く記事は面白かったし、たくさんの人に見られていた。生み出すことは喜びなのだろうな。現に今、誰に見られるとも分からない文章をつらつらと書いているけれど、意外にも楽しい。

 

その彼とこの間電話をした。しばらく話してから「じゃあ私コンビニに行く用事があるから」と告げると、「えっ、強盗でもしに行くの。」と尋ねられ笑ってしまった。彼の唐突な冗談が好きだった。

「カラーボールに気をつけてね」と言われながらコンビニへと向かった。

 

半年間触り続けた参考書や私の住所に届いた合格通知などの入ったバッグを宅急便で送ってもらうことにした。後はお母さんが「至急必要なの」と訴える洗顔フォーム。想像以上に重くて、受験後半に筋トレをサボっていたことを悔やんだ。夜も更けて来たところだったが、セブンイレブンで気の良い店員さんが対応してくれて笑顔になった。しかし、所持金が足りなかった。完全に重量を舐めていたなあと恥ずかしくなりながらその旨を伝えると重いのでお店で受け取っておくので明日お金だけ持ってきて貰えれば大丈夫です。と言われて世界の優しさに感謝して、アクエリアスを取ってきた。それにレジ前の小さな正方形のチョコを添えて、お会計を済ませ、外に出る。もう夜は2時を過ぎていた。その日は何も食べていなかったので、アクエリアスを流し込むと胃に直接届いて、何だか不思議な気持ちだった。頬にあたる冷気で冬を測る。

 

本当に取り留めのない文章になってしまった。